Buri Drift:

雑な思考の吹き溜まり

恥知らずになりたい

最近、ゲーム制作をしている。(これ)

私が好きなゲーム。操作が楽しい物だったり攻略を考えるのは大好物なのだが、それだけでなく、ストーリーがしっかりと作られているものが好きだ。シナリオ構成や世界観が綿密で、キャラがリアルに感じられるように世界を作っている物語に没入したい。

ぱっと思いつくものを挙げてみると、メイプルストーリー、亜電、ポータル、エルデンリング、ぬきたし、穢翼のユースティア

そういうわけで、私のゲームでもストーリーは頑張っている。シナリオ作成は初めての挑戦になるが1月ほどかけて書き上げたし、これからもブラッシュアップをしていきたいところだ。

ストーリー重視にゲームでは、やはりキャラクターのイラストが必須である。稀にアーマードコアの様な作風があるかもしれないが。

立ち絵があるだけでキャラクターが生き生きと表情を動かしながら会話をする事ができるし、それを見ているプレイヤーとしても感情移入したり愛着を抱きやすい。

また、ビジュアルとして自分好みのキャラクターがいるというだけで興味を持ってしまうことだってあるだろう。

そういうわけで、絵を描き始めた。ゲームのために。

イラストを描くのはとても楽しい。プログラミングの様に演繹的に論理を組むことを繰り返す、みたいなことはあまり無くて、「おもしろい構図」や「視線誘導」や「かわいい表情作り」や「色をうまくぶつける」みたいな、より直接的に人間に向き合うのはとても新鮮である。

とは言えイラストは難しい。ディジタルイラストを真面目にやり始めて4ヶ月くらい経ったが、ようやく体のバランスをとる時間が15-30分くらいになった(最初は1-2時間くらい、もしかしたらもっとかかってたかも)、基本的な色塗りや、影つけが慣れてきたし、構図の知識も少しずつついてきた気がする。それでも自慢したいと思えるほど上手く絵は描けていないと自覚出来ている。

これは初期に描いた自作ゲームのキャラの設定用のイラストだ。記事の後ろの方に最近のイラストを載せておく。これでも数日かかった記憶がある。

それでもまあゲーム制作という目的がありつつ、絵を描くのは楽しいので、「長い間絵を描いていれば上手くなるだろう」と悠長に構えている。流石に数年も続けていればゆっくりでも上達していくだろう。

イラストは技術としても難しいのだが、もう一点難点がある。

それは、絵、特にキャラクターを描いた物を人に見せるのは恥ずかしいと言うことだ

なぜ恥ずかしいのだろうか? キャラ絵を描く際には自分の「好き」という気持ちがあって、それを形にしたいという衝動によって動かされる。

そんな絵には当然自身の癖というか、ここが好きなんだ、可愛いんだ、かっこいいんだ、セクシーなんだという、要するに本能的エッセンスが入っているのだ。なんならそれを吐き出すことが目的とも言えないだろうか。

そんなキャラ絵は基本的に欲望の塊であると思う。それを人に見せるなど、精神的な露出、極限の自己開示にほかならない。

それは自身深いところを表に出すという、リスクの高い行為なのだから、恥ずかしいという感情で防衛するのは理にかなっている。

だけども、物語性のあるゲームでは自分の考えた物語を描き、キャラクターを生み出して喋らせる必要がある。これはイラストよりも精神的露出度が高い行為である。さらに恥ずかしがっているとプロモーションに力を入れられないという弊害がある。

プロモーションとはその名の通り多くの人に知ってもらい、最終目的はたくさんの人に遊んでもらい売り上げを作ることだ。

恥ずかしがったまま作品を出したって、売りにくいだけじゃなく100%の表現をできるわけがない。欲望の濃度が高ければ作品はより鋭くなり、人の心に突き刺さりやすい尖ったゲームになる可能性がある。

この記事はそういう趣旨のものなのだが、流石に「私の癖は〇〇だ、これこそが至高である」と高らかに宣言できるほどの高みには達せていない。本当に羨ましい限りである。

https://note.com/72studio/n/n5aac704fd787

そして私は売ることに言及している程度には金に興味がある。金を自分のコンテンツで稼いでみることは私の小さい夢みたいなものなのだ。

そういうわけで、Twitter でイラストを投稿し始めた。(紫のキャラがゲームの登場人物シュガー、オレンジのキャラは亜電のFAで描いたすずめ)

人間とはおもしろいもので、何度も繰り返すことでその行為に慣れていく。それは恥に対しても例外ではなかった。

最初の方の投稿では投稿ボタンの上にカーソルを置いただけでも動悸がひどく、指が震え、顔が熱くなった。Twitter のハッシュタグをつけようものなら更に酷くなる。

しかしそれを 2回、3回と繰り返すうちにだんだんとそれはましになっていく。正直まだ抵抗はあるものの、最後には「ま〜いいや上げてしまえ」と気楽に人差し指がマウスに沈み込むようになった。

今後も軽率に創作を人目にさらして恥に慣れていくことで、将来的な機会損失を防げるようにしていきたいと思っている。晒した時の最悪のリスクは「批判されて悲しい、恥ずかしい」であるので恥ずかしさには慣れておくとリスクも軽減できてお得である。

恥ずかしがっているのはダサい

そう唱えながら今後とも遵法意識とモラルを持って恥を晒していきたいと思っている。

恥とプライドなんかに振り回されることなく、選択肢を増やしていきたい。