日常的に Line や Twitter、電子メールを使っているし、仕事では Slack を使っている。ネトゲにハマっていた時期には会ったこともない友人と深夜までチャットをすることだってあった。14年以上はテキストコミュニケーションを行っていると言ってもいい。それに、不定期であるが2年以上ブログを書き続けていて、文章力も最低限のレベルには届いていると思っている。
それでも、私はテキストコミュニケーションが苦手だ。
少なくともそう思っている。
仕事でも生活する上でも逃げられないのだから、わざわざ記事にする必要はない事だと思う。だがそれを敢えて、わざわざ文章に落とし込んでみようと思う。
ところで、テキストコミュニケーションが得意だったり好きな皆さんはどうか怒らないでほしい。あえて宣言するがここには悪意はなく、あるとすれば私の無能さだけである。1
ではなぜ苦手なのか?
いきなり結論を言ってしまうとテキストコミュニケーションというのは対話に比べて以下の問題があると感じているからだ。
- 存在感が強い故のリスク
- 情報量が少ない
- テンポが悪い
一つずつ言語化してみる。
存在感が強い故のリスク
対話時は聞いた言葉の端々まで全て理解するのは集中力が必要であるため、なんとなく頭の中で要約しながら理解する。一方でテキストは聞き漏らすことも無ければ、自分のペースで、しかも何度でも読み返すことができる。
文章は読み手を誤字脱字でイライラさせたり、文を曲解させることに向いていると思う。
どこかの記事で、「Z世代は文末の句読点に対して怒りや、冷たい印象を受ける」みたいな事が書かれていたが、そのようにただの記号までにも意味を見出してしまう場合がある。それも悲しいことに、書き手の意図とずれている場合も少なくないと感じる。
一方対話であれば、多少噛んでしまったり言い間違えをしたところで問題になりにくいし、そこに意味を見いだしにくい。当然、明らかに失礼な言い回しもあるが、それでもテキストに比べて寛大だろう。
また、後述の文字の情報量が少ないことも関連していると思う。文章だけの場合、それを「唯一の証拠」として深読みしなければ内包されている意図の受容が難しいのだ。
よって、文章を読み取る際には変な深読みをする可能性がある。更に、その内容が自分にとって嫌なことだったとすれば何度でも読み返す事ができる性質上、継続してダメージを受けることになる。対話なら忘れられるのに。
これは逆に考えると、自分が相手に対して継続ダメージを与えてしまうことがあるということだ。しかもそれが意図を外れて伝わる可能性を考えるとその存在感はリスクになる。そしてそれは正しく書かなければいけないというプレッシャーとなる。
たった一文が重いのだ。
情報量が少ない
私はコミュニケーションの目的は、「自身の脳・心で発生した意図を、相手の脳・心に伝える」行為であると考えている。対話もテキストもどちらもそのための表現手段にすぎない。
コミュニケーションは、対話だと以下のように行われてると考えている。
細かく書いたのは発話者(自分)だけで、聞き手(相手)は省略しているが、表現から意図を取り出す為に逆向きの操作をしてると考えている。
対話では意図の表現方法が非常に多い。ジェスチャーや三次元空間での位置関係、目線、声色、言葉のリズム、などなど。
一方でテキストでは意図の表現方法が「文字とその並び」だけに限られるので、意図を適切に文章として圧縮してあげる必要がある。その際には対話に比べ多くの情報量が失われてしまう。
つまり、対話であれば指をさして、「取って」といえばほぼ完全に意図を伝えられるのだが、文章にすると「右から二番目の棚の上にある、赤い犬の人形を取って」のように具体的に書かないといけない。
更に、初めてコミュニケーションを取る相手の場合、相手のモデル、つまり相手がどういう性格、知識、状況であるのかの予測精度が非常に低いと自覚しているため適切な表現を探せない状態になる。「相手のモデル」は相手から情報を多く受け取ることで精度を高めることができるのだが、テキストコミュニケーションでは文章への圧縮によって、もらえる情報量が少なくなってしまう。
そのため相手のモデルが実用的なレベルに達するまでの時間が長くなり、効率的なコミュニケーションを取れるようになるまでに時間がかかる。相手がどこで不快になるか、誤解するかの予測もできないため、無難な言い回しや内容を考えたり、言語化時の圧縮率を下げなければ(つまり冗長に書かなければ)、コミュニケーションリスクが高くなってしまうのだ。
そのため、いつまで経っても非効率で無難なコミュニケーションしか取れない状態が続きやすいし、そういったコミュニケーションは脳への負担が高く、単純に楽しくもないため精神的に疲弊してしまう。
テンポが悪い
会話の間の相槌も、みんな無視するどうでもいい小さな突っ込みも。
相手が、話し終わって一息ついたタイミングで返答するような、そういう掛け合いがうまくできるとそれが一番楽しい。
しかし、テキストコミュニケーションでは送信するのに時間がかかるし、情報圧縮に気を付けてコミュニケーションリスクを想像しながら、作文しなけりゃならないし。そういうことで、テンポが非常に悪いのだ。
しかも、対話であればこちらが発した表現のフィードバックが早い。相手の表情が曇ったり、目が泳いだり首を傾げたりしてくれる。 誤解されたと思った際には、すぐに補足をすることができるため、悪い結果になりずらい。つまり、テンポの高さはリスクを下げる。
そういうわけで、テンポの良さを大事にしたいと思ってるのだが、テキストじゃそれが難しい。
だから私はテキストコミュニケーションが苦手だ。