Buri Drift:

雑な思考の吹き溜まり

アイデアはPCから離れて考える

最近思ったことを雑に書いてみる。

単純作業でやることが完全に決まっているのであれば早くデスクに座って手を動かせで済むのだけれど、ある程度複雑な事というのはやることが決まってない場合が多い。

例えばソフトウェア開発や執筆みたいな自由度の高い作業であればあるほど、単純に座って手を動かせばいいというわけにも行かない。まあ、手を動かせば「作業」としては進む。しかし良いソフトウェアや面白いシナリオを書こうと思った場合、書きながら考えるというのは(自分にとっては)かなり難易度が高い。そのため、最近はまず手を動かす前に頭を動かす事を大事にしている。

ただそう言ってるとどこからか、手を動かしながら考えて、何度も壊して作り直せば良いじゃないか。みたいな声が聞こえてきそうだ。規模が小さければそれでも良いが大きかったり複雑なものを作ってる場合はその方法には落とし穴があると考えている。0 -> 1 の性質があるものは特にだ。

「木を見て森を見ず」ということわざがあるが、PCに向かっていると目の前には沢山の大きな木が視界いっぱいを埋め尽くすので一歩引いて森全体を見るということが難しい。それに、頑張って俯瞰しようと頭を切り替えたとしても目の前には枯れかけた木だったり雪国で場違いに生えるヤシの木、全く関係ない隣の森に生えた木や、異彩を放つ悪魔の木(見ちゃう YouTube!!)に気を取られているうちに集中力まで枯れてしまう。これは単に自分が不器用なだけかもしれない。

そういうことで、俯瞰して考えたい時はソースコードや文章から離れることにしている。なんならPCから離れて近くの超デカ公園を散歩しながらアイデアを練ることがある。趣味だけではなく仕事のときも、設計段階ではそうすることが少なくない。なんならその方が生産性が高いので散歩に対してボーナスをもらえないだろうか。

PCから離れると森を見えなくなるんじゃないか?という意見もあるかもしれないが、個人的には森は頭の中にしかないと考えている。もし森がPCにある場合は誰かが自分の代わりに整理してくれただけだと思う。

頭の中にあればこっちのもので、大量の木を自由に切ったり生やしたり、一括で種類を変えたりなんで簡単にできる。もし作業を戻したい場合は頭を左右に降って忘れるジェスチャーをすればいいだけだ。PCと違って頭の中でならそういう作業は非常に軽量に行えて効率が良い。

そのように俯瞰や抽象を扱う場合はPCから離れた方がいいんだと気づいてからは、散歩がものすごく増えた。自分みたいに木疲れする人は一旦玄関を出てみるのはどうだろうか。